「宿題、終わった」
子どもがそう言ったので、ノートを見ました。
ところが、中には空欄がいくつも残っていました。
私は、すぐに言いました。
「まだ終わっていないところがある。ちゃんと終わらせなさい」
けれど子どもは、なぜそう言われるのか分からないような表情をしていました。
本人の中では、宿題はもう終わっていたのだと思います。親である私が考えていた「全部の問題に取り組み、空欄がない状態」と、本人が考えていた「宿題をやった状態」は同じではありませんでした。
同じようなすれ違いは、掃除の手伝いでも起きました。
この記事では、宿題と掃除の場面で何度も使っていた「ちゃんと」という言葉について振り返ります。
「ちゃんと」を別の言葉に替えれば、すぐにすべてが伝わった、という話ではありません。
「もう一度確認して」と言い換えても、確認にはつながりませんでした。掃除では、やり方を伝えたあと、親がそのまま最後まで終わらせてしまったこともあります。
現在も私は、つい「ちゃんと」と言ってしまい、あとから言葉を止めて考え直すことがあります。
この記事は、すべての子どもに当てはまる対応方法を示すものではありません。ひとつの家庭で起きたすれ違いと、保護者としての試行錯誤をまとめたものです。
宿題は「終わった」のに、空欄が残っていた
子どもは高校生ですが、空欄がないかを自分だけで確認することは、まだ完璧にはできていません。
子どもが「終わった」と言ったあと、私がノートを開くと、取り組んでいない問題や空欄が残っていることがありました。
私から見れば、空欄が残っている以上、宿題はまだ終わっていません。
そのため、私は言っていました。
「まだ終わっていないところがある。ちゃんと終わらせなさい」
当時の私は、「空欄が残っていないか確認するところまでが宿題」という基準を、子どもも同じように持っていると思っていました。
しかし、「ちゃんと」という言葉の中には、その基準が一つも入っていません。
- すべてのページを見る
- 空欄がないか確認する
- 抜けている問題に取り組む
- もう一度、最初から見直す
こうした手順は私の頭の中にありましたが、子どもへは伝えていませんでした。
子どもには、「終わったものを、なぜもう一度やるように言われるのか」と感じられていたのかもしれません。
本人の気持ちを断定することはできません。ただ、空欄の場所を見せるまでは、次に何をすればよいかが共有できていませんでした。
掃除も、本人の中では終わっていた
掃除の手伝いで同じようなすれ違いがあったのは、中学生頃です。
フローリング用の床拭きワイパーで掃除をお願いしました。
最初は、同じ場所を何度も強くこするほど、一生懸命に拭いていました。
けれど、最後の方になると、隅や椅子の下に拭かれていない場所が残っていました。子どもは、そこで掃除を終えようとしました。
私は言いました。
「椅子はよけて、ちゃんと隅々まで掃除して」
子どもは、すでに掃除を終えたと思っているようでした。
私の中では、「椅子を動かし、部屋の隅まで拭き残しがない状態」が掃除の完了でした。
一方で、子どもにとっては、「床拭きワイパーを使って床を拭いたこと」で掃除は終わっていたのかもしれません。
同じ「掃除をする」という言葉でも、どこまで行えば終わりなのかは共有できていませんでした。
その場では、「次はこうして」と伝えながら、私が椅子を動かし、残っている場所をそのまま最後まで掃除してしまいました。
やり方を見せたつもりでしたが、子どもが続きを実際に行い、終わりの状態を確かめるところまではできていません。
早く終わらせようとした親の行動によって、本人が試す機会を残せなかった面もあったと思います。
「ちゃんと」の中身は、親の中にしかなかった
宿題でも掃除でも、子どもは何もしていなかったわけではありません。
宿題には取り組んでいました。掃除も、最初は強くこすりながら取り組んでいました。
それでも、親が考える完了の状態には届いていませんでした。
私は、その差を「ちゃんと」という一言で埋めようとしていました。
けれど、「ちゃんと」には、次に何をするのかも、どこを見ればよいのかも、どの状態になれば終わりなのかも含まれていません。
親には見えている基準が、子どもにも見えているとは限りませんでした。
この経験を、発達特性だけで説明できるとは考えていません。「ちゃんと」「きれいに」「きちんと」といった言葉の受け取り方は、一人ひとり異なります。
ただ、わが家では、抽象的な言葉だけでは、親が求める行動と子どもの次の行動が結びつかない場面がありました。
「もう一度確認して」でも伝わらなかった
「ちゃんと」と言わないようにしようと考え、宿題では「もう一度確認してみて」と言うようになりました。
しかし、それだけでは子どもは確認しませんでした。
今振り返ると、「確認して」も、まだ抽象的な言葉でした。
何を確認するのか。
どのページから見るのか。
何を見つければよいのか。
それが分からなければ、次の行動にはつながりません。
実際には、私がノートを開き、空欄になっている場所を示す必要がありました。
空欄の場所を具体的に示すと、子どもはもう一度宿題に手をつけ、続きを進めました。
「ちゃんと」を「確認して」に替えればよかったのではありません。
本人が次に見る場所を、具体的に共有する必要がありました。
具体的に示せば、すべて解決するわけでもなかった
宿題では、空欄を示したあと、子どもが続きを進めました。
一方、掃除では、親が見本を示しながら、そのまま最後まで終わらせてしまいました。
二つの場面は、同じ結果ではありません。
具体的に示すことが助けになる場合はあっても、示せば必ず本人が一人で最後までできる、とは言えません。
親に時間や気持ちの余裕がなく、待てないこともあります。説明するより自分で終わらせた方が早いと考えることもあります。
私自身、そうしてしまった一人です。
だからこの記事を、「こう言えば子どもができるようになる」という方法にはしたくありません。
どこまで伝わっていて、次の一歩のどこで支えが必要なのか。それを親子で確かめるための一つの考え方として書いています。
今も「ちゃんと」と言いそうになったら、一度止まる
現在も私は、「ちゃんと」という言葉を使わなくなったわけではありません。
つい口にしてしまうことがあります。
言いそうになったとき、あるいは言ってしまったあとに、一度言葉を止めます。
そして、自分の中にある「ちゃんと」の中身を考えます。
宿題なら、「もう一度確認して」だけで終わらせず、どこを確認するのかを示す。
掃除なら、言葉だけで説明するのではなく、椅子を動かして隅を拭く動作を見せる。
ただし、見せることと、親が全部終わらせてしまうことは同じではありません。
次に同じ場面があれば、一部分だけ見せたあと、本人が試す時間を残せるかもしれない。今はそのように考えています。
今なら、最初に共有したい3つのこと
同じ場面が起きたとき、今なら次の3つを確認します。
1.何が残っているのか
「ちゃんと終わらせて」ではなく、まだ終わっていない場所を一緒に見ます。
宿題なら、空欄になっている問題やページを示します。
2.次にする行動は何か
一度に全部を求めず、次の一つを具体的にします。
例えば、「この空欄を一問やってみよう」「まず椅子を一つ動かそう」と伝えます。
これは当時すべて実行できていた方法ではなく、今回の経験を振り返り、今なら試したいと考えている言い方です。
3.どの状態になれば終わりなのか
始める前に、終わりの状態を共有します。
宿題なら「空欄がないか、最後に一緒に見る」。掃除なら「椅子の下と部屋の隅まで確認したら終わり」といった形です。
親の中だけにある完了の基準を、見える言葉にします。
公的情報から確認できること
発達障害情報・支援センターでは、抽象的な指示や暗黙の了解などを理解することが難しい場合があり、できるだけ具体的な表現で伝えることが紹介されています。また、作業手順を番号で整理するなど、視覚的に示す工夫が理解の助けになる場合があるとされています。
これは、「ちゃんと」が伝わらなければ発達障害だと判断できる、という意味ではありません。
同じような特性があっても、理解しやすい方法や必要な支えは一人ひとり異なります。発達障害情報・支援センターの基本的な支援原則でも、肯定的な対応や、取り組みを小さな段階に分ける考え方が紹介されています。
わが家で空欄を示したことは、言葉だけで繰り返すのではなく、次に見る場所を目で分かる形にした一例だったと考えています。
明日から試すなら、この一つ
「ちゃんと」と言いそうになったとき、まず次のことだけを考えます。
私が求めている「終わった状態」は、相手にも見えているだろうか。
見えていないかもしれないと思ったら、言葉を強くする前に、一か所だけ具体的に示します。
- 「このページの空欄を一緒に見よう」
- 「椅子を一つ動かして、下を見てみよう」
- 「ここまでできたら、今日は終わりにしよう」
これでも、すぐに動けないことはあります。
親が待てずに、代わりに終わらせてしまう日もあるかもしれません。
それでも、「ちゃんとできていない」と評価する前に、親子で完了の基準を共有できていたかを振り返ることはできます。
子どもだけでなく、親の基準も見直していく
私は、宿題の空欄や掃除の拭き残しを見て、「まだ終わっていない」と考えていました。
子どもは、宿題にも掃除にも取り組み、「終わった」と考えていたように見えました。
どちらかが嘘をついていたのではなく、「終わった」の基準が違っていました。
その違いを知らないまま、私は「ちゃんと」という言葉を重ねていました。
現在も、つい言ってしまうことがあります。
そのたびに、自分の中にしかない基準を、相手にも見える言葉へ変えられないか考え直します。
子どもだけが変わるのではありません。
何を当然だと思い、どこまで伝えたつもりになっていたのか。親である私の側も、少しずつ見直していく必要があるのだと思います。
同じテーマを物語で読む
参考情報
免責・相談の案内
この記事は、保護者としての経験と公的機関の一般的な情報をもとにしたものであり、診断・治療・個別の支援方針を示すものではありません。困りごとが続く場合や、生活への影響が大きい場合は、学校、医療機関、地域の相談機関などへご相談ください。

