ナオ編・第2話
ちゃんとしなさい
教室は、ざわざわしていた。
朝の音が、まだ残っている。
ナオは、席に座っていた。
ノートを、机の上に出している。
宿題のページも、ひらいてあった。
順番が来て、前に出た。
ノートを、先生の机の上に置いた。
先生は、ノートを見た。
ページを、何枚か、めくった。
その手が、少し止まった。
小さく、息をはく音がした。
声が、さっきより低くなった。
ナオは、立ったまま待っていた。
なにを言われるか、まだ、わからなかった。
先生は、はっきりとは言わなかった。
でも、
「宿題は、ちゃんとやってから出しなさい」
そういう意味のことを、言われた。
ナオは、うなずいた。
うなずいたけれど、胸の中が、少しざわついた。
ちゃんと、やった。
やったつもりだった。
問題も、解いた。
空いているところも、なかったと思う。
抜けているとは、思っていなかった。
どこが足りないのか、言われていない。
ノートを受け取って、席に戻った。
まわりは、もう次の人に移っていた。
誰も、何も言わなかった。
でも、視線が、一度だけ、こちらを通った。
ナオは、ノートを見た。
さっきと、同じページだった。
どこが、ちゃんとしていないのか。
考えた。
でも、答えは出なかった。
授業は進んだ。
ナオは、黒板を見ていた。
でも、言葉は、頭に残らなかった。
「ちゃんと」
その言葉だけが、残っていた。
何をすれば「ちゃんと」になるのか、わからなかった。
放課後になった。
ナオは、荷物をまとめて、教室を出た。
家に向かうつもりだった。
でも、気づいたら、足が、違う方向に向いていた。
教会だった。
特別な理由は、なかった。
ただ、ここに来ると、少し楽になる。
中に入ると、静かだった。
椅子が並んでいる。
奥のほうで、シスターがいた。
ナオを見て、軽くうなずいた。
ナオは、前に座った。
なにか話そうとした。
でも、うまく言葉にならなかった。
シスターは、何も言わなかった。
ただ、聞いていた。
ナオは、ぽつりと話した。
宿題のこと。
「ちゃんと」と言われたこと。
シスターは、うなずくだけだった。
それで、少しだけ、胸がゆるんだ。
教会を出ると、
ルリが、外の石の上にいた。
青みがかったグレーの毛。
短くて、整った背中。
ナオを見ると、少しだけ目を動かした。
「……また、来てたのか」
ルリは、答えなかった。
ただ、そこにいた。
そのとき、声がした。
「ナオ?」
コーキだった。
近くに立っていた。
「どうした?」
ナオは、少し考えた。
それから言った。
「宿題、出したんだけどさ。
ちゃんとやってないって、言われた」
コーキは、すぐには返さなかった。
少し、間を置いた。
「どこが、って言われた?」
ナオは、首を振った。
「言われてない。
俺は、全部やったと思ってた」
コーキは、うなずいた。
「それ、ある」
ナオは、顔を上げた。
「俺さ、
範囲とか、すぐ抜けるんだよな。
やった“つもり”で、止まってる」
ナオは、黙って聞いていた。
「だから、
あとで困らないように、
小さいメモ、使ってた」
コーキは、ポケットから、折れた紙を出した。
そこに、短い文字が並んでいた。
ナオは、それを見た。
「書いとくとさ、
“ちゃんと”が何か、後から分かるんだよ」
コーキは、それ以上言わなかった。
ナオは、考えた。
ちゃんと、やったつもりだった。
でも、
どこまでが宿題か、
自分で、確かめていなかった。
「……次、
一つだけ、聞いてみようかな」
コーキは、少し笑った。
「それでいいと思う」
ナオは、うなずいた。
ルリは、少し離れたところで、
変わらず、じっとしていた。
ナオは、教会の中を振り返った。
それから、歩き出した。
完璧じゃなくてもいい。
全部わからなくてもいい。
次は、
一つだけ、確かめてみよう。
そんなふうに、思った。

