ナオ編・第13話
まだ知らない場所
――見守る人 ― 探偵になる前の話――
教会の中は、静かだった。
昼でも夜でもない時間で、
光は高い窓から、細く差し込んでいた。
ナオは、入口の近くの椅子に座っていた。
座ったまま、動かなかった。
何かを考えている、というほど
はっきりした形はなかった。
でも、頭の中が
少しだけ、いつもと違っていた。
最近、
うまくいかないことは減っていない。
言われて、わからなくなることもある。
急かされると、止まることもある。
それでも、
「全部同じ」じゃない気がしていた。
できたこと。
できなかったこと。
言えたこと。
言えなかったこと。
どれも、前と同じようで、
少しだけ、違っていた。
椅子の背もたれに、猫が乗っていた。
青みがかったグレーの毛。
丸くなって、目を閉じている。
ナオは、その姿を見て、
なぜか安心した。
話しかけられなくても、
見られている感じがしなくても、
そこにいるだけで、
大丈夫な気がした。
しばらくして、
ナオは立ち上がった。
教会の外に出ると、
空は少し高く見えた。
そのまま歩き出して、
振り返らなかった。
同じ教会の中で、
少し遅れて立ち上がった人がいた。
コーキだった。
柱の影に寄りかかって、
ナオが出ていく方向を、
しばらく見ていた。
追いかけることは、しなかった。
声も、かけなかった。
「今日は、これでいいな」
小さく、そう言って、
自分に向けて息を吐いた。
猫が、椅子から降りて、
コーキの足元に来た。
「なあ」
猫は、返事をしない。
でも、コーキは続けた。
「俺さ。
昔は、
何が普通で、
どこで止まってて、
どこで遅れてるのか、
ぜんぜん分からなかった」
猫は、しっぽを一度だけ動かした。
「誰かに言われて気づくこともあったけど、
言われた時点で、
もう遅かったりするんだよな」
コーキは、少しだけ笑った。
「だからさ。
言わないで、
見てる時間も、
あっていいと思うんだ」
立ち上がって、
コートを整えた。
「行こうか」
猫は、先に歩き出した。
教会を出る前に、
コーキはポケットからスマホを取り出した。
画面を見て、少しだけ考える。
すぐには打たず、一度、消した。
それから、短く文字を入れる。
『今日は声をかけていません。
でも、大丈夫そうでした』
送信して、端末をしまう。
誰に送ったのかは、
画面には残っていなかった。
「……今は、これでいい」
そう言って、
コーキは立ち上がった。
猫が、足元で小さく鳴いた。
「行こうか」
返事はない。
でも、いつもの距離で、
猫は先に歩き出した。
教会の外は、少し風があった。
ナオの姿は、もう見えない。
それでも、今日の時間は、
ちゃんと、ここにあった。
「見守るって、たぶん、
“何もしない”を選ぶことでもあるんだよな」
誰に向けた言葉でもなく、
答えを求めるでもなく。
コーキと猫は、ゆっくり歩き出した。
まだ名前を知らない誰かが、少し先で、
自分の足で進み始めている方向へ。
見守ることは、
何もしないことと少し似ている。
声をかけない支援について、
補足文で考えます。

