ナオ編・第6話
見つからない
玄関で、姉が立ち止まった。
靴はもうはいている。
カバンを肩にかけたまま、振り返った。
「ねえ。
昨日、教えてあげた宿題のプリント、持った?」
ナオは、少し間を置いて答えた。
「……入れた」
声に迷いはなかった。
入れた、と思っていた。
昨日の夜。
机でプリントを終わらせて、
姉に言われて、
そのままカバンに入れた――はずだった。
「一回、見てみて」
姉はそれだけ言った。
もう急いでいる。
ナオはしゃがんで、カバンを開けた。
ノート。
筆箱。
教科書。
プリントが、ない。
「あれ……」
もう一度、見た。
同じものしか、入っていない。
「昨日、入れたって言ってたよね?」
ナオはうなずいた。
入れたつもりだった。
姉は何も言わず、
ドアに手をかけた。
「……先、行くね」
そう言って、外へ出た。
ドアは、閉まらなかった。
冷たい空気が、玄関に流れ込む。
そのすき間を縫うように、
猫が横切った。
青みがかったグレーの毛。
短くて、密な毛並み。
ルリだった。
ナオは一瞬、目で追ったが、
すぐに視線を戻した。
プリントを探さなければならない。
自分の部屋に戻って、机の上を見る。
引き出しを開ける。
ベッドの横。
床。
どこにも、ない。
「……ない」
声に出すと、
余計に見つからなくなる気がした。
探しているはずなのに、
どこを見ればいいのか、わからなくなっていた。
リビングの方で、物音がした。
父だった。
棚の前で、立ち止まり、
教科書の横に置かれた紙を一枚取った。
「……これか?」
差し出された紙を見て、
ナオは固まった。
探していたプリントだった。
「……あ」
それだけしか、言えなかった。
父は何も言わず、
プリントを渡した。
時計を見るでもなく、
ため息もつかず、
ただ一瞬、ナオを見た。
その視線で、
言われた気がした。
――またか。
父は背を向けた。
それで終わりだった。
ナオはプリントを持ったまま、
玄関に立った。
どうして、ここにあったのか。
いつ、置いたのか。
思い出せなかった。
家を出るとき、
玄関先ですれ違った。
姉だった。
もう行ったはずなのに、
少し戻ってきたらしい。
ナオと目が合ったが、
何も言わずに、通り過ぎた。
そのまま、それぞれの道へ向かった。
放課後。
校門を出たところで、声をかけられた。
「おつかれ」
コーキだった。
隣には、ルリがいた。
ナオは、少しだけ歩く速さを落とした。
「……朝さ、
プリント、忘れてた」
コーキはすぐに反応しなかった。
ただ、歩きながら聞いていた。
「探したんだけど、
見つからなくて」
「うん」
「結局、
全然違うとこにあった」
コーキは、少し笑った。
「あるある」
ナオは顔を上げた。
「俺もさ、
“ここにあるはず”って思い込んで、
そこばっか見てたことある」
ナオは、足元を見た。
「ちゃんと、終わらせたんだけどな」
コーキはうなずいた。
「終わった“あと”ってさ、
そこで一回、止まるんだよな」
その言葉に、
ナオの中で、何かが引っかかった。
昨日の夜。
プリントを終わらせたとき。
「できた」
そう思って、
少し満足した。
そのあと、
姉が何か言っていた気がする。
「片づけておいてね」
だったかもしれない。
最後まで、
ちゃんと聞いていなかった。
ナオは、歩きながら考えた。
忘れた、というより、
途中で、止まっていたのかもしれない。
聞いたつもりで、
終わったつもりで。
「……最後まで、聞いてなかったのかも」
ナオが言うと、
コーキは何も言わなかった。
否定も、正解も、なかった。
ルリが、少し先を歩いている。
振り返りもせず、
一定の距離を保っている。
名探偵みたいに、
全部見つけてくれるわけじゃない。
でも、
見つからない時間も、
そのまま見ている。
ナオは、プリントをカバンの中で触った。
今は、ある。
それだけで、
少しだけ、気持ちが落ち着いた。
見つからない時間も、
何もなかった時間とは限らない。
ナオの中で止まっていた流れを、
思想章で考えます。

